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FRANKFURT (フランクフルト)

 環境先進国を造り上げた自然への
 親しみと人々の暮らし


自然への親しみから生まれる生活

 緑の森に囲まれた環境先進国ドイツ。自然を愛し、親しむ心が環境を守り、人々の健康と生活を守ってきた。前向きに着実に歩んできたその文化には、私たち日本人が忘れかけている自然との共存の姿がある。現在海外特派員としてドイツ、フランクフルトで生活する田島誠司さんにその現状と、ドイツと日本の環境への意識のあり方の違いを報告して頂いた。

無駄を省く

 ドイツ人と日本人との環境問題に対する意識の違いは、身近な生活の場にもよくあらわれています。

 例えば、『無駄を省く』ということ。共同の場では、ほとんどライトをつけても一定時間で自動的に消えてしまう仕組みになっています。人もいないのにつけっぱなしということにならない装置になっているのです。ですからエスカレータなども誰か近づくまで動きません。バスも電車も、乗り降りする人がそこだけ開けて使います。スーパーにいっても、買ったものを入れる袋は買わなければなりません。まだドイツに来て間もない頃、市場で私が瓶の牛乳を買い、蓋が開けばこぼれてしまうので小袋に入れてもらいました。そこまでは何とかなったのです。ところがそれをリュックにいれようとしたら、途端にその店主が周りに向かって響き渡るように叫びました。「ウンベルトー!」(環境問題!)って、つまり二重に袋を使って無駄をしてる。と言うわけです。牛乳を買ってあげたお客に対し店主が怒鳴るんですから、日本人からしたら驚きでした。今では私も布袋を携帯する癖がつきました。

 また、ドイツの駅には切符切りの駅員や改札機械もありません。実にすっきりしています。切符を買うことは自主性にまかされていて、買わずに乗っていると、偶(たま)にチェックにくる私服の駅員に罰金をとられてしまいます。それで殆どの国民が切符を買って乗っているのですから、外国人には考えられないようです。友達の車に乗せてもらっても「あれエンストか」と思うくらい赤信号でエンジンをよく止めます。速度二〇〇キロでも飛ばせるアウトバーン(高速道路)も無料だから料金所も要りません。無料と言えば、ドイツの国立大学(私大は極少)は今も基本的に無料、だから子供の教育費も日本のように過剰ではありません。喫煙に関しては、結構若い子たちがかっこつけて吸っています。大人の雰囲気を味わっているのでしょう。ところがバスが来たら、ちゃんといったん消して懐へ入れ、また降りたら根本まで吸いきってゴミ箱に捨てますから、日本のような醜態にはなりません。レストランでも食べ残りがでたら気がねなく持ち帰れるようです。八百屋さんにも虫食いや形のまちまちなリンゴが並べられ、皆見てくれより、味の良さで買っていきます。家庭のポストにも「一切の広告を拒否します」というシールが張られ、不必要な印刷物を受けないようになっています。

リサイクル・再利用

 リサイクルはまず各家庭のゴミの仕分けからはじまります。ガラスは白、緑、茶と三色に分けて捨てます。その他はリサイクルマークが付いたものと紙だけのものなどに分けます。緑の党が閣僚入りしてからは、センターのあるアパートも生ゴミを徹底して分けるようになりました。外国人は、ゴミは分けて捨てるものだということを、ドイツに来て知るそうです。お隣のフランスではまだ当たり前のように、何でも一緒に捨てているようです。飲み物は缶よりガラス瓶を使ったものが多く、それをケースで、重くても持ち運びして何度も使います。コーラなどのプラスチック製のボトルも捨てません。衣類などは着られなくなったものを洗濯して、至る所にある赤十字の大箱のなかに寄付していきます。とにかく捨てません。

物を大切にする

 再利用するだけでなく、物そのものを大切にします。何といっても古い木製の家具は父、祖父、曽祖父から譲り受けたなんてものが青年の部屋にあったりします。それがすごくいいんです。時代を超えて受け継がれてきたものの中には、何かしら心のやすらぎや温かさを感じます。大量消費を美徳とまでした私たちは、人そのものまで使い捨てされてしまうような不安の中に生活しているのかもしれません。また家は一度建てたら数百年ということもよくあります。コンクリートよりも木の方がずっとずっと長持ちすることもよく知っています。今でも趣味で自分で家を建てるという人がいるくらいです。自家用車も自分でよく修理するため、中古車の店は非常に少なく、個人販売の方が多いくらいです。皆自分でよく修理します。車を買うと同時に、ほとんどの人がそのメーカーの販売している分厚い修理の本を求めます。

物を共有するシステム

 センターのあるマンションは、地下に一台大きな洗濯機があり、皆で予約して使いあっています。

 車もカーシェアリングといって同じ車を多数の人が所有し、予約して利用しあい、また同目的地に向かう人同士が一台の車に乗りあわせしたりします。

 それから交通費も格安で行ける仕組みがあります。市内バス・電車なら平日夜七時以降と週末は、定期券を持っている人はもう一人無料で乗れるとか、週末五人までの団体で電車利用が格安になるなど、とにかく公共交通機関の利用を自家用車利用より優遇する措置が多々あります。

 大きなゴミ袋に包まれた自家用車がポイと捨てられるポスターも貼られています。

自然環境に触れる、自然を愛する

 よく環境問題といわれますが、その問題意識も『自然環境に触れる、自然を愛する』というセンスが土台になって生まれているといえます。

 ドイツ人はよく戸外をスパチーエレンゲーヘン(散歩)します。ワンダーフォーゲル(徒歩旅行)も好きです。登山家や青年だけでなく、老夫婦でもあちこちにある公園や森をペアでよく歩きます。

 一昔前は家族で歌を合唱しながら歩いたと聞きますから、日本人にはちょっと想像しかねます。日本では暇があるから散歩するという感じでしょう。こちらでは、深い森を友人と黙々とただ歩き続けるということも珍しくありません。

 またどの都市にも森があり、大都市の街中にもよく緑が配置されています。森の中で学校の授業が行われ、キャンピング、家族でハイキングをしたりします。グリム童話に度々現われるような、親しみのある、市民に開かれた平坦な森がほとんどです。センターの近くを流れる川の両岸は週末なら散歩する若者、自転車に乗る家族や老夫婦で賑わいます。 またクラインガルテン(小農園)も週末や平日の仕事後夕方六、七時でも盛んに行われています。センターの横の公園ではサッカー、屋外卓球、冬は雪ぞり、池の氷の上でアイスホッケーなど自然の中でスポーツをしています。芝はただ刈るだけで一年中青々としていて、その上で寝ころがって本を読む人、日光浴する人とさまざまで、そこにある池には渡り鳥も姿を見せ、薮の中にはイーグルという可愛らしい針ねずみがいます。センターの窓からも、木から下りてくるリス、青芝の上を飛び跳ねる野生の小ウサギが見られ、早朝はいろんな鳥の奇麗な鳴き声で目が覚めることもあります。

 こんなフランクフルトに住むドイツ人自身は、「ここはEU(欧州共同体)の金融の中心地で経済優先都市。働くにはいいが、自然環境は緑が少なくて住むにはどうも」と首をひねるくらいですから、ドイツ人の理想の環境像は相当なものなのでしょう。

 

環境への意識の違いにある背景


日本とドイツの違い

 ところで、これまでドイツ人と日本人の環境に関する意識の違いをいろいろあげてきましたが、では一体この違いはどこから生じたのでしょう。私なりに考えてみました。

 共に両国は敗戦後に奇跡の経済復興を成し遂げた先進工業国です。特にその原動力となった元西ドイツは、日本と同じようにアメリカのマーシャルプラン(経済援助)によって経済的に救われ、資本主義経済のもとに発展してきました。ところがその発展の内容には大きな違いがあったようです。日本は戦後、国を挙げて経済至上主義に暴走、大量生産大量消費こそ美徳とし、物質的便利さを精神的豊かさと履き違えてきました。それにより、資本家(企業)や政治家、、官庁役人は、一丸となって経済発展に邁進し、資源(自然環境)を利用し尽くし、労働者・中小企業家を労働力として機械と同様に使い捨てしてきたのです。それに対し、労働者たちも労働条件など考慮せず、健康管理もできていない状態でした。そして家庭にあっては、親としての存在感を失ってさへも家庭生活の時間を捧げ尽くしてきました。

 しかしドイツはさまざまな場面で経済至上主義に歯止めをかけ、環境保全に努めました。国家組織の中に相互補完チェック機能がありバランスを保っただけでなく、市民からも時には命がけで経済至上主義の行き過ぎを主張してきたのです。

国家権力が一極集中化していない

 その背景の一つは、『国家権力が一極集中化していない』ということです。だから政治家と経済界の癒着が日本ほどではありません。例えば、ドイツには日本のような「天下り」システムは殆ど見られません。政府内に環境大臣までいて、経済界・資本(企業)家たちの利潤のみの追究による環境破壊を厳しく批判し続けています。

 政治団体だけでなく、キリスト教団体も宗教的理由から経済至上主義に歯止めをかけています。ドイツの開店時間は、数年前に平日夜六時から八時に延びたばかりで、日曜はいまだに閉店、二十四時間コンビニエンスストアなんてほとんど考えられません。そして国の構造自体が連邦制で地方分権であり、日本やお隣のフランス、イギリスのような中央集権型国家とは大きな性格の違いがあります。首都人口を比較しただけでも東京約一、一〇〇万人、ロンドン約七〇〇万人、パリ四〇〇万人、ボン(旧西ドイツ)四十万人、あの旧西ドイツの国会は僅か人口四十万の街で行なわれ、そしてこれからEU経済の中心地となるここフランクフルトは、人口六十万人で国際金融都市と呼ばれているのです。つまり多くの国の機能役割が各地方にゆだねられたまま一国として大きな国力をもっています。

 一方、権力一極集中はその方向性が正しければ大いに力を発揮しますが、一度道を踏み外したら国全体を客観的に批判し、改善できるチェック機能が働きにくいのです。

身体という環境を守る

 背景の二つめは、ドイツ人は『人間としての最も身近な環境である身体を、労働条件の改善によって守り抜いてきた』ということです。ドイツは資本家に対し労働者も強いのです。産業構造は、日本のように会社系列での縦割り構造ではなく、職種ごとに組合が団結する横割り構造です。だから経営者、管理職に対しても労働組合が強く、下手に首など切れません。週休二日制、平日は夕方五、六時がラッシュで多くの人が年間六週間の休暇を保証され、その上企業は雇用者の社会保障をかなり負担しています。人間自身の環境保全をなし得る強い意識は、おのずと自然環境保全にも繋がっていると思います。

国民の政治意識の高さ

 背景の三つめは、『国民の政治意識の高さ』です。最近ではむしろ個人レベルでは、日本人のほうがドイツ人より環境問題を強く意識しているのではないかと感じます。環境ホルモンなんて言葉にも、ドイツ人より日本人の方がはるかに敏感になっています。しかし国家レベルの対応、つまり法制化という点ではどうでしょう。日本では国民意識と政治にはかなりの隔たりを感じます。誰が首相に、どの政党が与党になろうが、それで私たちの生活がどうなるわけでもないというような――。だから衆院選挙の投票率が五割を割ったと騒いでいますが、ドイツでは、前回七十五パーセントになって国民が驚き、その前の投票では八十五パーセントだったといいますから大変な違いです。彼らにとって生活改善は即政治改善ということです。十代後半、二十代前半の若者でも、政策に対してはっきりした自分の意見をもっていることが少なくありません。

 一九六〇年代の市民学生運動デモ隊の先導者が、市民の声援を土台に昨年「緑の党」として政府に参画し、環境税を法制化しました。原発廃絶に最初に立ち上がったのも市民による横の繋がりからです。市民の意識改革が政治改革につながり、国家が改善されていくのです。

過去に自然環境の破滅的状況という苦い経験

 背景の四つめは、『過去に自然環境の破滅的状況という苦い経験をしている』こと。既に十七世紀初期の三十年戦争によりドイツの森(原生林)の殆どは(あの有名な黒い森も)失われました。それらの苦い経験を顧みて植林し、森を自らの手で育て世界で初の森林学がここに生まれました。幸か不幸か国土の七十パーセントは山間部といわれる日本では、自然の破滅的状況は未だ経験したことがないように見えます。さらに、今から約一〇〇年前日本が明治初期、富国強兵で西洋資本主義に邁進しようという頃に、欧州では既にマルクスの「資本論」が刊行され、反資本主義的芸術運動も生まれていました。つまり日本より早く欧米は資本主義経済の行き過ぎを批判し修正を加え、自然環境破壊の苦い経験を反省し再生を実現してきたのです。

 私たち日本人はこのまま自然環境の破滅的状況に至るまで意識の変革は不可能なのでしょうか?経済拡大幻想がバブルとなってはじけた今、あらゆる事象を商品化しお金に換算してしまう色メガネをはずして、私たちの心の平和の拠り所となるもの、身体の健康を支えてくれているものは本当はいったい何なのかを個人個人がみつめ直す、問い掛けるチャンスと考えます。

 ドイツの格言にある「たとえ明日世界が滅びようとも今日私は庭にリンゴの木を植える」とは、いかなる状況にあっても未来に向けての希望を捨てないドイツ人の不屈の精神を表しています。



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